2022年11月17日

寺報「糸ぐるま」令和4年11月号より

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先日、台風十四号のため延期となっていた覚円寺の「秋季彼岸会永代経」が勤まりました。

十月後半ということで、もはやお彼岸ではありませんから、「彼岸会」と呼ぶのもどうかとは思いましたが、あくまでも九月の法要が延期されたものでしたので、そのままお勤めさせていただきました。
ご講師の山上正尊先生にも無理を申し上げましたが、事情をご理解いただき、延期を快く受け入れて下さいました。

このような状況ではありましたが、当日は、毎回の法要に欠かさずお聴聞にお越しくださるお同行に加え、思いもよらない方のご参加があったりと、大変ありがたく、とてもうれしい法縁となりました。みなさん本当にありがとうございました。
当日のお勤めの様子と山上先生の法話については、Youtubeにアップロードしておりますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FYEKVfPhTek

「真宗木辺派覚円寺」で検索していただいてもすぐに出てくるかと思います。

今回、山上先生は、親鸞聖人がその主著である『教行信証』をご製作になられるきっかけとなった、お師匠である法然上人の念仏教団に対する、他宗からの弾圧についてお話しになられました。

当時の日本仏教界においては、仏となっていくためには、それにふさわしい修行というものをする必要があるというのが当たり前でした。

これに対し、法然上人が『選択本願念仏集』に説かれた「南無阿弥陀仏で誰でも救われる」という仏道のありかたは、当時の日本の仏教界ではあまりにも常識外れでありました。

そのため、既存の仏教教団からは朝廷に対し、念仏を取り締まるように幾度も要請され、結果、念仏禁止令が出されただけでなく、「承元の法難」(一二〇七(承元元)年)では、門弟四名が死罪、法然上人や親鸞聖人はじめ七名が流罪に処されるなど、今テレビニュースでよく聞く「宗教法人解散命令」よりも重い刑罰を与えられました。

それほどに、法然上人の説かれた、誰でも救われる仏道というものが、当時の日本仏教界にとってはあまりに常識を覆したものであったため、断じて見過ごすことができなかったのでしょう。

さて、今回のご法話のなか、私がもっとも印象深かった言葉が

「救急(くきゅう)の大悲」

というものでした。

今年七月、安倍元総理が奈良県で銃撃されました。その際、安倍元総理は救急車とドクターヘリで救命救急センターに搬送され措置を受けましたが、亡くなられました。

犯人はその場で捕まりましたが、今度はこの犯人を殺すという強迫電話が拘置所にあったそうです。実際に襲撃されることはなく、その電話をした人も逮捕されたそうですが、もし本当に彼が襲撃されていたら、安倍元総理と同じように救急の看板を掲げている病院で、同じように措置を受けていたことでしょう。安倍元総理を襲撃した犯人だからといって、受け入れを拒むことはありません。

救急の看板を掲げるということは、この病院は、その人がどんな功績のある人なのか、どんな悪事を働いてきたのか、どんな学歴のある人なのかといったことは問題にせず、その患者が誰であれ、「無条件に目の前の苦しみに向かい合う」という意味であるんだ、ということをおっしゃいました。

もともと「救急」という言葉は仏教用語だそうです。そして「救急(くきゅう)の大悲」とは、私たちの苦しみに、無条件で向かい合ってくださる阿弥陀さまのお心をあらわす言葉であります。

山上先生は、その苦しみと全力で向かい合い、取り除く治療法も確立した、という看板が「南無阿弥陀仏」であり、この「南無阿弥陀仏」が私のところに届いているということは、善人も悪人も、誰でも分け隔てなく一切が救われる法が、私の上に成立しているということになるんだ、とお教え下さいました。

それまでの仏教のような私の修行を中心とした仏道ではない、阿弥陀さまの救済が主役である仏道というものが、法然上人から親鸞聖人と受け継がれ、今この私に届いてくださっている。阿弥陀さまはこの私を目当てとして、私のいのちに向かい合ってくださっているということを改めて知らされた彼岸会永代経でありました。
posted by Gaku at 22:45| 法話

2022年09月11日

寺報「糸ぐるま」令和4年9月号より

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時の経つのは早いもので、はや9月となりました。9月といえば、中秋の名月、今年は9月10日だそうです。
中秋の名月といえども、必ず満月になるわけではないそうですが、今年はありがたいことに満月となるとのことです。ベランダでお月見団子片手に一杯やるのもいいかも知れませんね。

さて、九月は中秋の名月だけではありません。お彼岸と呼ばれる時期がやってきます。
さてこのお彼岸、語源ははるか昔のインドの言葉、サンスクリット語の「パーラミター」にあります。このパーラミターが中国で音訳され「波羅蜜(はらみつ)」となり、その意味から「到彼岸(とうひがん)」と訳されました。

悟るために超えていかなくてはならないものを川にたとえ、私たちのいる迷いの世界を「此岸(しがん)」、悟りの世界を向こう岸という意味で「彼岸」と表現されたのでした。
浄土真宗は、この悟りの世界を阿弥陀さまの浄土として、そこに往き生まれさせていただく、という教えです。

ところでみなさん、この浄土をどのように味わっておられるでしょうか。
お経を見ますと、阿弥陀さまの浄土は西方はるか遠いところにあり、またその浄土の姿は、金・銀・瑠璃等の七つの宝でできているなど、具体的な場所や姿であらわされます。

これに対して、浄土は自分の心が作り出すものであり、本当は西方に存在するものではないとする考え方があります。
地球は丸いですから、西に向かってどんどん進んでいくと、一周して元の位置に帰ってきてしまいます。
大地が平面であると考えていた昔の人ならともかく、お経に説かれているような西方浄土の姿よりも、この浄土のほうが現代人には受け入れやすいと思います。

それならばなぜ、お経にわざわざ西方浄土の姿が描かれたのでしょうか。そこにはそう描かなければならない理由があるはずです。

七高僧の第四祖・道綽禅師は、昔インドでは日の昇る東を「生」と呼び、沈む西を「死」と呼んでいたところから、西の大地を人々のいのちが向かうべき方向としてイメージがぴったりだということで、阿弥陀さまは西に浄土を築いたのだ、とされました。

第五祖・善導大師は、お釈迦さまは、私たちが形のないものを認識することができないということをよくご存じだったから、浄土というものをあえて西にある国、という具体的な方角、姿として描いたとされました。
道綽禅師、善導大師いずれの教えも、浄土の本当の姿とは、仏の智慧を備えて初めて観ることができるものであり、執着を持った私の理解をはるかに超越したものであるということを前提としています。
その超越した浄土の本当の姿というものを私たちの感性に合わせ理解させるために、お経ではあえて日の沈む西方に、かたちある姿で説かれているのだ、というものでした。

夕日を見たとき、理屈っぽい私はつい、あの赤い色は光の波長がどうのなどと考えてしまいます。ただ、それと同時に、そんな私の心にも無条件に、その夕日の美しさが染みわたってくるのです。
はるか昔から、夕日は私たちを感動させる力を持っています。この感情を揺さぶる美しい夕日が沈む西の大地に重ね描かれたのが、理屈ではない、西方浄土というものではないでしょうか。

太陽が真東から昇り、真西に沈んでいくという春分、秋分に合わせて浄土に思いをはせ、お参りをするというこの日本独特の風習に味わい深さを感じずにいられません。
posted by Gaku at 16:08| 日記

2022年07月01日

寺報「糸ぐるま」令和4年7月号より

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先日テレビを観ておりましたら、タレントの出川哲朗さんがCMに登場されていました。

そのCMは殺虫剤のもので、出川さんは、おそらくみなさんが苦手であろう、台所にたま〜に出没する、あの昆虫(ここでは略して「G」と呼ぶことにします(笑))の着ぐるみを着て、雲の上の世界で泣いていました。

どうやら出川Gは、住んでいた家の大好きだった奥さんに殺虫剤をかけられ、命を落としてしまったようです。その結果、雲の上の世界に生まれたのでしょう。その悲しさから号泣しているのです。

仕方ないこととはいえ、人間がGを一方的に目の敵(かたき)にして、姿を見ようものなら徹底的に退治しているというのは、ある意味申し訳ない気持ちになります。

細かい話になるのですが、このCMを観ていて、私が気になった点が一つだけありました。それはその雲上の世界が「天国」であるとされていたことでした。

仏教では天国という言葉は使わないので、細かいことは分かりませんが、少し調べてみたところ、キリスト教で天国とは死後に行く「死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない」(『ヨハネの黙示録』第二十一章)世界であるとされているようです。

しかし、出川Gのあの雲上の世界には、確かに悲しさや辛さが存在しています。そうなるとそこが天国であるというのはおかしいんじゃないか、と思えてくるのです。みなさんどう思われますか?

どうやら私たちは、世界と私の関係というものを考えるとき、世界という一つの大きな「入れ物」の中に収められている「私」という捉え方しかできないのではないかと考えます。出川GのCMでも、最初から「天国」という世界がまずあって、死者はその中に生まれる、という考え方が根本にあるように思えます。

仏教では、仏さまの住む世界を、浄(きよ)らかな世界という意味で「浄土」と呼びます。それに対し、私たちの住むこの世界のことを、けがれた世界という意味で「穢土(えど)」と呼びます。このように表現しますと、この二つの世界は全く別々に分離して存在するもののように感じるかも知れません。しかし、この二つの世界は区別されながらも別物ではないのです。

本来仏教では、世界とは感性で見えているものであるとされます。

『維摩経(ゆいまきょう)』というお経があります。その一番初めの章である「仏国品第一」で、ラトナーカラという青年が、浄らかな仏国土を作るにはどうしたらよいか、という質問をお釈迦さまにします。お釈迦さまは、

「菩薩のこころが浄らかであることに従って、仏国土は浄らかになる」

とおっしゃいました。つまり、自分の価値観に執着した心で世界を見たならばそこは穢土ではあるが、執着を離れ、浄らかな心で見たならば目の前の世界は浄土となる、ということです。

ただ、問題となってくるのは、現実的に煩悩まみれの凡夫である私は、自らの力でもって執着を離れ、浄らかな心を持って世界を見たり理解することができないということです。私はどこまでいっても私の価値観や感性でしか世界を見ることができません。それでは私はいつまでたってもさとりを開くことができないままになってしまいます。

そこでお釈迦さまは、そのような私が理解できるように、『無量寿経』や『阿弥陀経』に、あえて「入れ物」的表現で、西方に阿弥陀さまの具体的な形ある浄土を説いてくださり、そこに生まれ、さとりを開きたいという気持ちを私に起こさせるようにされたのです。

凡夫である私にとっては、この世界は間違いなく穢土そのものであり、浄土とははるか遠いところにある、まったく別の世界と感じられます。しかし阿弥陀さまからすれば、その浄らかな心でもって世界は浄土として展開されており、この私もそこに内包されているということになります。

また、浄土が本当にあるのか、ということが話題になることがあります。しかしそれは世界を「入れ物」としか捉えていないから起こる疑問ではないでしょうか。世界を浄らかな感性で見たのが浄土なのですから、あるとしかいいようがありません。
posted by Gaku at 19:00| 日記