
先日、台風十四号のため延期となっていた覚円寺の「秋季彼岸会永代経」が勤まりました。
十月後半ということで、もはやお彼岸ではありませんから、「彼岸会」と呼ぶのもどうかとは思いましたが、あくまでも九月の法要が延期されたものでしたので、そのままお勤めさせていただきました。
ご講師の山上正尊先生にも無理を申し上げましたが、事情をご理解いただき、延期を快く受け入れて下さいました。
このような状況ではありましたが、当日は、毎回の法要に欠かさずお聴聞にお越しくださるお同行に加え、思いもよらない方のご参加があったりと、大変ありがたく、とてもうれしい法縁となりました。みなさん本当にありがとうございました。
当日のお勤めの様子と山上先生の法話については、Youtubeにアップロードしておりますので、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FYEKVfPhTek
「真宗木辺派覚円寺」で検索していただいてもすぐに出てくるかと思います。
今回、山上先生は、親鸞聖人がその主著である『教行信証』をご製作になられるきっかけとなった、お師匠である法然上人の念仏教団に対する、他宗からの弾圧についてお話しになられました。
当時の日本仏教界においては、仏となっていくためには、それにふさわしい修行というものをする必要があるというのが当たり前でした。
これに対し、法然上人が『選択本願念仏集』に説かれた「南無阿弥陀仏で誰でも救われる」という仏道のありかたは、当時の日本の仏教界ではあまりにも常識外れでありました。
そのため、既存の仏教教団からは朝廷に対し、念仏を取り締まるように幾度も要請され、結果、念仏禁止令が出されただけでなく、「承元の法難」(一二〇七(承元元)年)では、門弟四名が死罪、法然上人や親鸞聖人はじめ七名が流罪に処されるなど、今テレビニュースでよく聞く「宗教法人解散命令」よりも重い刑罰を与えられました。
それほどに、法然上人の説かれた、誰でも救われる仏道というものが、当時の日本仏教界にとってはあまりに常識を覆したものであったため、断じて見過ごすことができなかったのでしょう。
さて、今回のご法話のなか、私がもっとも印象深かった言葉が
「救急(くきゅう)の大悲」
というものでした。
今年七月、安倍元総理が奈良県で銃撃されました。その際、安倍元総理は救急車とドクターヘリで救命救急センターに搬送され措置を受けましたが、亡くなられました。
犯人はその場で捕まりましたが、今度はこの犯人を殺すという強迫電話が拘置所にあったそうです。実際に襲撃されることはなく、その電話をした人も逮捕されたそうですが、もし本当に彼が襲撃されていたら、安倍元総理と同じように救急の看板を掲げている病院で、同じように措置を受けていたことでしょう。安倍元総理を襲撃した犯人だからといって、受け入れを拒むことはありません。
救急の看板を掲げるということは、この病院は、その人がどんな功績のある人なのか、どんな悪事を働いてきたのか、どんな学歴のある人なのかといったことは問題にせず、その患者が誰であれ、「無条件に目の前の苦しみに向かい合う」という意味であるんだ、ということをおっしゃいました。
もともと「救急」という言葉は仏教用語だそうです。そして「救急(くきゅう)の大悲」とは、私たちの苦しみに、無条件で向かい合ってくださる阿弥陀さまのお心をあらわす言葉であります。
山上先生は、その苦しみと全力で向かい合い、取り除く治療法も確立した、という看板が「南無阿弥陀仏」であり、この「南無阿弥陀仏」が私のところに届いているということは、善人も悪人も、誰でも分け隔てなく一切が救われる法が、私の上に成立しているということになるんだ、とお教え下さいました。
それまでの仏教のような私の修行を中心とした仏道ではない、阿弥陀さまの救済が主役である仏道というものが、法然上人から親鸞聖人と受け継がれ、今この私に届いてくださっている。阿弥陀さまはこの私を目当てとして、私のいのちに向かい合ってくださっているということを改めて知らされた彼岸会永代経でありました。